新著紹介
微分・位相幾何
著者:和達 三樹 (岩波書店,1996年)

 

 書店にならぶ理工系の本を見ていて, やさしい本が増えたなあと,しばらく以前から感じています. その中には大別して,親切本とマニュアル本があるように感じます. 親切本とは,とにかく懇切丁寧で, お願いだから最低限これだけはわかってほしい,という著者の思いのこもった 本をいいます. マニュアル本とは,わかる,わからないはともかく, とにかくこれだけのことをこなせばいい,というスタンスの本をいいます. 大学院受験参考書などが後者の類に属するでしょう.

 ここ数年,岩波書店は,前者の,つまり親切本のシリーズをあいついで 世に送り続けているように見受けられます. そんな親切本の代表選手ともなるべき本として,本書は出版されました. 著者は,テキストライターとしても有名な和達三樹氏で, 私が学部1年のときに読んだ,やはり岩波書店の「物理のための数学」の 著者でもあります. いまこうして先生の書いた本を,それも学会誌において 評させていただくのは,たいへん恐縮であります. 「物理のための数学」の序文にあった, 「第一に,自分が学生であった頃を思いだし, こんな本があったらよかったのにという本を書くこと. 第二に,講義で会う学生諸君の顔を思い浮べながら, 授業時間に余裕がないためにいえなかったことを書くこと. この二点に関しては,著者として最善を尽くしたと思っている」 という言葉には胸を打たれたものでした. たしかにそれはそんな本でした. それは,基本概念が目に浮かぶように,手に取るように伝わってくる, 数学の使い方がわかる, 何よりも読んでて楽しい数学の本でした. その後,私が大学院生になってから集中講義に来た氏に会ったときには, そのユニークな人柄には圧倒されたものでした. そんなに冗談ばっかり言ってるから,授業時間が足りなくなるんですよ, という気もしましたが.

 さて,本書の内容に目を移すと, これは物理の人のための, 現代的な微分幾何とトポロジーの速習コースであり, 重点は言葉づかいに慣れること, 定義・定理の内容が直観的にとらえられるようになることと, 計算ができるようになることに置かれているようです. 扱われている項目を列挙すると, 集合・写像・線形空間・群・位相空間などの基本概念をひととおり確認し, 微分形式・星印作用素(ホッジ作用素)・微分方程式の可積分条件・ 接ベクトル・テンソル・リー微分など多様体の基礎を解説しています. 次いで,ホモトピー群,ストークスの定理,曲線論,曲面論をとりあげ, ガウス-ボンネの定理に,局所的情報を集めて大域を知るという 微分幾何の醍醐味を示しています. ややアドバンストなトピックとしてファイバー束と接続の理論が紹介され, 最後に,ホモロジー群とコホモロジー群が解説されます. また,合間合間に, 分子の対称性と群や,微分形式の電磁気学・熱力学への応用や, ハミルトン力学の幾何,欠陥のホモトピーによる分類, ゲージ理論やトポロジカルな場の理論,量子ホール効果など, 多彩な物理的例を織り交ぜています. 理解を助ける演習問題も豊富で,しかも解答つき. まさに親切本としての目的は十分にかなえられているようです.

 ただ,不満に感じるのは, ときどき定義が数学的には不完全であることと, 証明が少ないことです. 例えば,本書(3.9)式から(3.20)式前後で,接ベクトル空間を定義するところでは, 接ベクトルの同値関係について触れるべきでしょう. 同値関係をはっきりさせておかないと,ベクトル演算をするときも, 何をもって等号とするのか定まらないですから. また,微分同相写像がテンソル空間の同型対応をどうやって誘導するか 定義されていないため(本書(3.60)式), リー微分の定義(同(3.61)式)もちゃんした定義にはなっていないと思われます. 積分可能条件の十分性やポアンカレの補題の逆なども証明抜きですが, これはしかたがないでしょう. 一方,ストークスの定理やガウス-ボンネの定理のような重要な定理は, 視覚的にわかりやすく証明されています. なお,多様体の例は,球面とトーラスと,あとさりげなく射影平面が 登場していただけで,ちょっとさみしく感じました.

 しかし,総じてバランスのよくとれた記述であり, ときどき数学的に見て危ないなと思われる箇所も,説明がうまいので 納得してしまいます. 他の数学の本を読んで感じることですが, 証明は説明にはなっていないので, 証明を追っても全然わかった気がしないものです. それは数学の友人に聞いてもそうらしくて,証明は読み飛ばして, 論文を書くとかどうしても必要なときにだけ 我慢して証明は読むもののようです. これは,あくまで数学を説明して,物理のどんな場面に応用できるか 示唆してくれる本なのです.

 著者は本書の一部を学部3年生の授業にも取り入れてみたということですが, たしかに3年生なら十分に理解できるように書かれていると思います. また,学生に限らず,多様体とかファイバー束とか聞いただけで, うわ,何それ,と眉をひそめる中年すぎのスタッフにも一読をお勧めしたい 一冊です.

 

評者:谷村省吾
日本物理学会誌1997年2月号, 125-126に掲載.

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