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谷村 省吾
TANIMURA Shogo
教授
博士(理学)

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2015年,広島県尾道(おのみち)にて

2022年のノーベル物理学賞の解説
谷村のおススメ本リスト
哲学に関係した仕事
数学・物理通信
数学戯評
不確定性関係をめぐる議論
名古屋大学E研同窓会
授業の資料

所属   名古屋大学 大学院 情報学研究科 複雑系科学専攻 多自由度システム情報論講座
 
郵便宛先 〒464-8601 名古屋市千種区不老町 名古屋大学 情報学研究科 谷村省吾
 
専門分野 理論物理、人工知能、量子基礎論、量子力学、量子情報理論、力学系理論、応用微分幾何、ゲージ理論
 
自己紹介
 名古屋生まれ、名古屋育ち。関西勤めが長かった。名古屋大学工学部応用物理学科卒業。名古屋大学大学院理学研究科物理学専攻修了。その後、東京大学(学振研究員)、京都大学(助手、講師)、大阪市立大学(助教授)、京都大学(准教授)を経て、2011年に名古屋大学(教授)に着任。2017年に所属部局が情報科学研究科から情報学研究科に、兼任学部が情報文化学部から情報学部に改組された。
 学部生のときは、主に固体物理・金属電子論を学び、4年生のときには統計力学の研究室(工業力学講座)に所属した。卒業研究は近藤効果(磁性不純物を含んだ金属の電気抵抗が低温で増大する現象)の理論に関するレビューだった。大学院ではE研(素粒子論研究室)に所属した。猫の宙返りとベリー位相のゲージ理論に関する研究で修士論文を書いた。ファインマンによるマクスウェル方程式の証明を相対論的に拡張するという研究を行い、大学院生のときに初めての英語論文を書いた。多様体の場の量子論の研究により博士論文を書き、博士学位取得。
 その後、多様体上の量子論、経路積分、トポロジカルソリトン、空間並進対称性の破れの場の理論モデルの構築と解析、表現論を使ったシュレディンガー作用素のスペクトル解析、量子コンピュータの最適制御、量子力学における相補性などを研究。2004年には、10年来の未解決問題であった等ホロノミー問題を等質空間の場合について厳密に解き、量子コンピュータの最適制御問題を解いた。2010年にはベルの不等式の一般的な構成方法を発見し、古典論理と量子論理を比較検証するための新しい不等式を作った。
 近年は量子基礎論(ベルの不等式・不確定性関係・代数的量子論・量子測定理論・弱値など)、力学系理論(量子系・古典系両方)を研究している。幾何学的な視点・方法論を得意とし、幾何的アプローチから理論物理の諸問題に横断的に取り組みたいと思っている。非平衡熱力学・非平衡統計力学にも関心がある。ゲージ理論についても量子測定理論の観点から考えたいことや制御理論の観点から考えたいことがある。また、圏論の物理学・工学・人工知能への応用も目論んでいる。
 量子コンピュータについての論文も書いたことはあるが、量子コンピュータはいまや(2019年現在)実現・実用段階であり、実験家が研究の主役であって、理論家がいまやれることは少ないと私は感じている。そのため、量子情報関係の研究は、私の中ではいま下火である。
 
自己紹介的ウェブページ
 名大で初めて先生の嘘を聞いた日(名古屋大学同窓生メルマガ)(2023年12月)
 Researchers' Voice(名古屋大学 研究成果発信サイト)(2022年12月)
 Researchers' Voice (English version)
 教員紹介(情報学研究科ブログ『情報玉手箱』)(2020年5月)
 
量子基礎論とは
 量子基礎論なるものが独立した学問分野として研究者界で認められているかどうかわからないが、私と親しい研究者仲間は、いつの頃からか自分たちが関心を寄せている問題群を量子基礎論(foundation)と称するようになってきた。『量子論基礎』と言うと、量子力学の易しい講義(basic, elementary, introductory course)のことかなと思われてしまいそうなので、こちらの呼び方はやめておこう。
 英語名は定まっておらず、Quantum Foundations を標榜する人もいるようだが、それだと財団法人の名称みたいだ。説明的になるが、Foundations of Quantum Physics または Fundamental Aspects of Quantum Physics と称するのがよいのではないかと思う。Foundations of Quantum Theory という言い方もあるかもしれないが、理論はそれ自体が基礎的なものだと考えられるので、自然認識の方法論の正当性も問うという意味を込めて Foundations of Physics としたい。
 学問分野の名称などどうでよいと思っていたが、最近(2019年)、同僚や学生たちの前で、何をやっているのですか?と尋ねられたときに説明できるようにしておかなければならないと感じるようになり、自分の専門分野名を言えるようにしておこうと考えた。
 では、量子基礎論の中身は何か? 私は次のような内容を考えている:1. 量子論の拠って立つ基礎を明らかにする。数学的基礎付け(公理化・体系化)と物理的基礎付け(量子論を支持する経験事実)の両面を扱う。2. 量子論と他の物理理論(古典力学や熱力学や統計力学)との関係を明らかにする。一方から他方を導けるなら、そのようにする。あるいは、より包括的な理論を模索する。3. 量子論の限界を見極める。測定精度や計算量の限界、古典物理と量子物理の境界があるなら、それらを明らかにする。4. 量子論ならではの新概念を見つける。実験検証方法も考案する。  以上のような問題意識をもって研究に取り組みたい。
 Quantum Foundationsと題する研究会で「量子基礎論って言うけれど、基礎って何?」という講演を行った。 こちらでも、そもそも物理学や科学の基礎ってどういうことなの、というテーマについて思うところを論じた。
 
研究の裏で私が意識していること
 最近(2020年)、時間の哲学と心の哲学の問題に関わることが多くなり、「意識とは何か、物理系に意識を実装できるか」という問題を本格的に考えたいと思うようになった。裏プロジェクトとして意識の科学化を考えている。
 「科学で扱えるものと扱えないとされるもののギャップ」は、心得ておくべきではあるが、ギャップにこそ重要な問題が隠されており、ギャップを埋める・ギャップを乗り越えることによって科学は進歩してきたとも言える。例えば、昔は、天と地は別ものと考えられ、天地は別の法則に従うと考えられていたが、地道な天体観測と望遠鏡と物理学の進歩により、人類は「天上の法則は地上の法則と同じらしい」と認識するに至った。だからと言って天体や宇宙が当たり前のものになったわけではない。自然をつぶさに観測し、自然に関する理論を究めることによって、宇宙は人間の経験と想像を絶する現象に満ちていること、宇宙の壮大な営みと精妙な成り立ちを、我々は伺い知ることができる。この世界の不思議を解明する・理解することは、それの値打ちを損なうことではない。理解することによって、ますます驚異と畏敬の念を抱くようになる。
 物理学におけるギャップの難問として次のようなものがある。マクロ系によるミクロ系の観測に伴う波束の収縮、量子系から古典系の創発、相対論的系から非相対論的系の出現、可逆力学系から不可逆系の出現、意識なきものから意識あるものの出現、「いまある感」の起源、などがそのような例であるが、これらは地続きの問題であり、いずれも機が熟すれば科学的に究明されるべき課題だと私は考えている。この種の問題は、ギャップを謎めいたものとして鑑賞したり、「そういうものだ」と諦めたりすることによって解決するものではなく、何かのついでに新しい視点を得たときに、ひょっこりと「見方を変えればこういうことではないか」という形で答えを見い出すものだろうと思う。そういう意識をもって自分の研究の伏流として考え続けたい。短期で成果を出すべき学生にお奨めできるテーマではないので、こっそりと自分の中で構想を温めていくつもりである。
 
人工知能の研究始めました
 ムーンショットプロジェクト「人とAIロボットの創造的共進化によるサイエンス開拓」に参加することになり、科学的思考・研究・発見をするAIロボットを創るという野心的な研究に取り組んでいる。理論物理の研究を通して培ってきた数理的知識と思考方法をもって、科学者の夢とも言えるプロジェクトに貢献するつもりである。(2021年5月記)
 
指導していただいた先生
 大学生だったとき、とくに名古屋大学の佐藤肇先生(数学好きの工学部生だった私のセミナーの面倒を見ていただいた)、中村新男先生(光学を教えていただき、量子光学という新しい分野の存在を教えていただいた)、本間重雄先生(統計力学や量子力学の演習で鍛えていただいた)、羽賀栄次郎先生(卒業研究を指導していただいた、羽賀先生が定年退官されるときに私は卒業した)に親切に指導していただいた。大学院生時代は、大貫義郎先生(場の量子論、研究全般に取り組む姿勢を教わった、大貫先生が定年退官されるときに私は修士課程を修了した)、沢田昭二先生(素粒子論を教わった、自由闊達な雰囲気の中で研究する喜びを教えて下さった)、北門新作先生(何かと風変りなテーマに興味を持つ私を励まして下さった)、三田一郎先生(CP対称性の破れなど重要な物理を研究する姿勢を教わった)に厚く面倒を見ていただいた。土屋昭博先生(トポロジーの手ほどきを受けた)も強烈な方だった。東京大学の学振PDであった期間には江口徹先生・藤川和男先生・柳田勉先生(一流の物理学者の姿を見せていただいた)に大変ご面倒をおかけした。大学教員になってからは、京都大学の岩井敏洋先生(力学系に対する幾何学的な視点を教わった、何ごとに関しても支援していただいた)に大変お世話になった。また、全員の名前は挙げ切れないが、多くの先輩・友人たちにお世話になっている。一人だけ名前を挙げると、名古屋大学理学部数学科にいた同学年の古結明男(こけつ・あきお)氏からは、広範な数学分野を詳しく教えてもらった。私の数学理解は、彼から教わったことが基盤になっている。
 
学生時代の経験:ワンゲル部の活動
 生まれも育ちも名古屋で、大学も地元の名古屋大学だったので、とにかく外の世界に出てみたいと思い、大学に入学したらすぐに体育会のワンダーフォーゲル部に入部しました。現在の情報学研究科棟の北西(A館の西隣)の2階建て倉庫のある場所には、かつては、オンボロのプレハブ部室がありました。床には大きな穴が開いていたし、窓は全部破れていたし、本当にボロボロの部室でした。その後、部室の建物は変わりましたが、いまでも学生たちがいろいろやっている様子を見ると懐かしい気持ちになります。学生時代は、山登りやサイクリングや川下りなど、ワンゲル活動に明け暮れていました。大きなキスリング(ザック)を担いだまま授業に出て、みんなに笑われたこともありました。
 「ワンゲル部にいました」と言うと、「山登りですか、いいですね」と言われることが多いですが、日本の山は晴れよりも雨のことが多く、我々は登山開始時点で雨が降っていても必ず登るので、よい気分はしませんでした。濡れた草をかきわけて山道を歩いていると足にヒル(吸盤状の口を持つ吸血動物)が上ってきて噛まれて血を吸われるし、レインウェアの中は汗で蒸れて暑いし、立ち止まるとたちまち体が冷えて寒くなります。山頂に着いても、雨雲の中に立っているようなもので、景色はまったく見えません。雨の中でテントを張り、もちろんシャワーも風呂もなく、着替えもせずに寝袋に入り、夜寝ていると雨水が寝袋に浸みてきて足元がひんやりしてきても明日に備えて体を休めるために起床時間までは目をつぶって堪える、朝起きたらすぐメシを炊いてかきこんで、ずぶ濡れのテントをたたんでザックに押し込む。そういう生活でした。また、山の中では食器を洗剤と流水で洗うことはできないので、食器がぴかぴかになるほどきれいに食べる必要があります。食器はまだいいのですが、ご飯を炊いた鍋やカレーを作った鍋をきれいにするのは大変でしたし、結局、きれいにはなりませんでした。それでも翌日にはまたその鍋を使わなければなりません。キャンプ生活は、ものすごく不便で不衛生です。しかもそんな過酷な生活が、遠い世界の出来事ではなく、名古屋大学の高い建物の窓から見える鈴鹿の山の中で待ち受けていたのです。
 山から家に帰って来ると、「雨風の心配をせずに乾いたふとんで眠れる」ことに涙が出るほど感謝しました。自分がふだん文明の利器に守られて生活していることや、人間がいかに弱い生き物であるかということを、いやというほど思い知らされました。鈴鹿の山でマムシ(毒蛇)に噛まれて命の危険に瀕したメンバーもいました。また、これは鈴鹿の山ではありませんが、山中で直径1メートルほどの落石が人にぶつかりそうになるところも見ました。別の山では落石に当たって大けがをしたメンバーもいました。山中でメンバーが体調を崩して、どう対処すべきか判断を迫られることもありました。
 登る山は鈴鹿に限らず、3千メートル級の山も10峰以上登りました。1週間以上山に入ったままということも珍しくはなかったです。ワンゲルでは登山以外の活動もしました。材木で組み立て式のいかだを作って、四国の四万十川の上流まで5人で運んで、川の上流から河口まで川下りしたこともあります。3人はいかだに乗って、2人は自転車で並走するという方式でした。仙台から青森県下北半島の北端の大間崎まで三陸海岸沿いにサイクリングもしました。いろいろなことをやったおかげでメンタル的にも肉体的にもタフにはなったと思います。また、たんに無茶な冒険をするのではなく、目標を決めて事前調査して計画を立てて実行する、事故があったら報告する・相談して対処を決める、事前に事故を予測する・バックアッププランを用意する、リーダーはメンバーの体調に気を配り、志気を高める、など、振り返ると、何と言ったらよいか素晴らしいプロジェクト・トレーニングになっていました。いま、自分の研究室はそんなに上手に運営できているだろうか?と思ってしまいます。
 
学生だったときに勉強したこと
 勉強やアルバイトにも忙しい学生生活でした。大学の授業も勉強になりましたが、自分で本を買って読んだことの方が身に付いた気がします。解析力学・量子力学・統計力学は自習でマスターしたと思っています。教養部時代はロシア語の予習が忙しかった覚えがあります。友人から「谷村は一日48時間あるのか?」と言われるほど、よく活動していました。学部科目の授業ではいつも講義室の最前列の席に座っていました。たまに先生に質問して、思ったような答えが返ってこないと、すぐに居眠りしてしまいました。友人からは「また谷村君一番前の席で寝て、先生にプレッシャーかけている」などと言われていましたが、先生には申し訳ないと思っていました。
 量子力学の演習授業中に「(講義担当の)先生の量子力学の教え方は古い」と私が友人にささやいたのを先生に聞き取られ(私の声が大きすぎた)、だったら君が講義してみろと先生に言われ(「君が一番わかりやすいと思うやり方で君が講義してもいいよ」という優しい言い方だったと思います)、その場で(応用物理学科の教室で)量子力学の講義をしたことがありました。いま思い返しても自分は生意気な学生だったと思います。
 高校まで数学と理科は得意で、とくに物理が好きでした。好きなことをやりながら人の役に立つことをしたいと考えて高校卒業後の進路として選んだのは工学部の応用物理学科でしたが、大学に入って物理学とくに量子力学を勉強しているうちに、やっぱり物理が好きだ、とことん物理を知り尽くしたい、自分でも物理法則を発見したい、と思うようになり、大学院は理学研究科物理学専攻に進学しました。大学に入ってからいろいろなことをやったおかげで、一番好きなこと・一番自分に向いていることがわかったと思います。そういう意味で、学生時代をとても有意義に過ごしたと思っています。
 
現代の学生へのメッセージ
 学生の皆さんは何でもいいから自分の得意分野を一つは持ってほしいと思います。対象は既存の学問でいいです。徹底的に勉強すると、蓄積した断片的な知識が全部噛み合って見えてくる瞬間があります。「猛烈によくわかった」、「何もかも透き通って見える」、「この科目については自分は世界で一番よく理解しているのではなかろうか」(もちろんそんなはずはないのですが)と思えるくらい透徹した理解に達する経験を持つと、新たな問題にも直面できる自信がつきます。
 いま私は、学部生および大学院生を受け入れて当講座の教員と協力して研究指導しています。私の研究室への配属を志望する学生には、とくに優れた予備知識を要求しませんが(とは言え、最低限、線形代数と微積分は理解していてほしいですし、量子力学を理解していると研究を進めやすいです)、柔軟かつ緻密な論理的思考能力を高めたいという意欲と、森羅万象に対する知的好奇心を持っていてほしいです。
 君たちのやる気をくじくようなことは言いたくないですが、大学に入学してからの時間を無為に過ごしてきた人や、学問的にやりたいことがない人や、楽(ラク)して卒業したい人は、うちに来てもらっても、結局何も身につかず、つまらない思い、あるいは辛い思いをするだけだと思います。そういう人は当研究室に配属されない方がお互いのためですので、よく考えて選択してください。
 せっかく大学に入ったなら、学べることを貪欲に吸い尽くそう、やれるだけのことをやろう、できなかったことができるようになろう、自分が好きなこと・自分に向いていることを見つけて、それに向けて努力しよう、やるからには真剣にやろう。そういうふうに考えて行動してほしいです。もう一つ言うなら、思いやりのある人になってほしいです。
 やるからには真剣にやる。このことは強調しておきたいです。野球でもサッカーでも将棋でも、遊びではなく、勝負をかけて、真剣な思いでやればこそ、勝つために何をすればよいか本気で考えるし、勝つための努力は惜しまないし、勝ったときは心から嬉しいでしょう。負けてヘラヘラ笑っているようでは物事は上達しません。「負けたら泣く」くらいの意気込みでやってほしい。受験勉強だけが勝負ではありません。大学入学がゴールではありません。世の中には、ものすごく努力していて、人類にとって貴重なものを発見したり創り出したりしている人がいます。そういう人たちの競争に参加するつもりで大学で学んでほしいと思います。
 
2019年の卒業アルバムに寄せたメッセージ
 人として正しいと思えることをやれ。卑怯なことを許すな。人に褒められることを狙うな。本当によいことをしていれば見てくれている人は必ずいる。
 
学生諸君に読んでもらいたい、些末だが、ひょっとしたらこれが一番役に立つかもしれないメッセージ
 学生諸君が書いたレポート・試験の答案・大学院入試の答案などを読んでいて、何度も思うことですが、君たちの手書きの字は雑すぎます。漢字も数字も数学記号もローマ字もギリシャ文字も君たちは正確に書こうとする気がないように見受けられます。学生番号も機械で読み込めないような字を書く人が後を絶ちません。一番ひどいのは「名前」です。試験の答案はもちろん、出席確認のための座席表にですら、名簿と照らし合わせないと判読できないような「名前」を書く人がいます。自分の名前を相手が読めないような雑な字で書く人を、私は信用できません。
 また、筆圧が低く、字が薄すぎます。書字が薄いので、消しゴムで消したつもりなのか、書き文字として残してあるのか、考え込まされることがあります。数式も勝手に一部省略されていて、たぶんここはこういうことを書くべきだということを知っておりながら面倒くさくて書かなかったんだろうな、と読み手が想像して補わなければならないような答案もあります。君たちの答案は、何かちょっとでも当たっていることが書いてあれば部分点はもらえるのだろう、というつもりで書かれているように見えます。「答案の正解部分を探すのがテストの採点者の仕事であり、採点者にわかりやすく説明するような答案を書く必要はない」と思われているかのようです。
 文章や答案というものは、当然のことながら、読み手はそれだけを手掛かりにして判断・評価しなければならないものなので、書き手は読み手に伝わるように、きちんとした文章・数式・図・グラフを、読みやすい字や見やすい図で表現すべきです。文章は人間である読み手に読んでもらうために書くのだ、ということを意識すべきです。パソコンを用いたプレゼンでも同様のことが言えます。受け止める相手の立場や視点を想像しているか、ということです。とくに最近は、キーボードやタッチパネル・タッチペンが多用され、雑な日本語を入力しても機械が文字変換・語句補足、さらには翻訳までやってくれるせいか、学生諸君の手書き文章表現がどんどん貧弱になっている傾向が見られます。そんな話をエッセイに書いたこともありました(「手書きの文字」窮理14号)。
 私はいままでは、どのような雑な手書き答案でも最大限好意的に読むように努力してきましたが、もうそういう好意的な態度はやめようと決意しました。きちんとした表現を心掛けないやり方を好意的に解釈して救っていても、学生諸君のコミュニケーション能力・表現能力を育てないということがわかってきたからです。
 言い出せば、手書き字が汚いだけでなく、文章もまずく、話の順序も読み手に伝わるように組み立てられておらず、プレゼンテーションの画面の構成も意図が感じられません。君たちの表現は、ありとあらゆる面で、吟味されておらず、垂れ流しで、書きなぐりで、他人にどう見えるか考えていない、自分の話を他人が理解するとはどういうことか考えていないように見えます。指導教員として言うのは何ですが、「よくもまあこんなグスグスな文章を書けるな・・・『とにかく書いた、さあ、読め、わかるはずだ』という気分で書いたのかな?『わかりやすく解説した』と自分でしめくくっている人もいるし・・・」と君たちの卒論の原稿を読みながら思ったりします。もちろん添削指導しますが。何か、コミュニケーションの基本的な部分でギャップを感じます。学生同士ではそれで話が通じているのかしら? およそ君たちは先生の話を聞いたり、教科書を読んだりして、心からわかった、という気分になったことはあるのかしら? ひょっとしたら先生たちは君たちに一度も「よいお手本」を見せたことがないのかしら? 君たちは「わかる」とか「伝える」とかがどういうことなのか知らないのかしら?などと思います。
 おそらく、君たちの多くは、どんなお手本を目にしても意識して細部まで丁寧に読み味わったことがないので、何がよいお手本なのかわからないんだろうな、と思います。読み方・聞き方の雑さが、「こんなもんでいいんだろう」という雑な基準を支持し、書き方・話し方の雑さにつながっているのではないかと思います。
 頑張れ! 君たちはもっといいことができるはずだ! 志を高く持て! 私もよい手本を示そうと頑張るから。(2021年9月記)
 
 
Shogo_at_Onomichi_2.jpg
2015年,広島県尾道にて
    
    
授業担当科目(2024年度)
 全学教育:物理学基礎2(電磁気学)
 情報学部:物質情報学1(解析力学),物質情報学6(量子力学),複雑システム系演習3
 大学院:現代数学と力学特論,複雑系科学特論1(オムニバス講義)
 
主な出版物

    Shogo_at_MtWashington.jpg
   2005年,アメリカ,ニューハンプシャー州,ワシントン山にて

    Smoke_on_Shogo.jpg
   2006年,アメリカ,ワイオミング州,イエローストーン国立公園にて
   
情報学研究科
情報科学研究科
多自由度システム情報論講座
Google Scholar
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Last update: April 8, 2024