新著紹介
ダイヤモンドはなぜ美しい?― 離散調和解析入門
著者:砂田利一 (シュプリンガー・ジャパン,2006年)

 

ダイヤモンドは炭素原子の結晶であるが,なぜそれは美しいのか?「美」には「感性で捉える美」だけでなく「理性で捉える美」もある.そのような美は数学の目を通して見つけられ,数学の言葉を以てして語られる.そのことを示すのが著者の意図であるらしい.

結晶の美しさと聞いて,ああ群論の話だな,と本を読む前に私は思った.確かに本書は群論を使うのだが,その使い方は私が知っていたものとは一味違うものであった.まず結晶を抽象化して,原子配列の距離や角度を捨象してしまい,隣り合った原子のつながり方だけを示すグラフを作る.すると,元のユークリッド空間に埋め込まれた結晶(これをグラフの実現と呼ぶ)の合同変換群は,抽象的グラフの自己同型群に準同型写像で写される.一般の結晶では,この準同型写像は単射だが全射にはならない.元の結晶の合同変換群は見かけの対称性であり,これを外部対称性と呼ぶなら,グラフの自己同型群は内部対称性であり,言わば隠れた対称性である.これが全単射になるとき,つまり,隠れていた対称性のすべてが顕わになるときが「最も美しい対称性の実現」であり,ダイヤモンドなのである.

最小原理の観点からもダイヤモンドの美の秘密が解き明かされる.そのために調和と標準という概念を導入する.各格子点が隣接格子点多面体の重心になっているとき,その格子は調和的実現であるという.また,単位格子の体積を一定に保って格子を変形させたとき,隣接格子点を結ぶ辺の長さの2乗和が最小になるような格子を標準的実現という.すると,ダイヤモンド格子は調和的かつ標準的であり,その意味でも無駄がなく,美しいのである.

ダイヤモンドは確率論の立場から見ても美と調和を秘めていることが示される.格子上のランダム・ウォークの長時間挙動は,元の格子の詳細によらず,標準的実現上の正規分布に漸近していくというのである.しかも「エネルギー最小で特徴付けられる標準的実現が,内部対称性が全単射で外部に現れる最大対称性格子である」という定理が,ランダム・ウォーク理論の帰結として証明される.不規則な現象の中から美が生まれて来るという不思議な数理を実演して見せている.

この他にも実に多様な数理的視点からダイヤモンドの美しさを吟味している本である.世界には理屈で理解できる美がある,論理の有機的なつながりで形作られる調和があるということを物語っている.カラフルな図も挿入されていて目を楽しませてくれる.もちろん数学書なので証明はついているし,問題も与えられている.問題を解くのはしんどいであろうが,読者自身も数学的真理と美の発見を楽しめることだろう.応用面から言っても,グラフ理論や,格子を用いる数値解析,統計力学のくりこみ群に通ずるアイディアがふんだんに盛り込まれており,読者の興味に応じて有用な知見が得られることだろう.著名人の金言も多数引用されていて,読んでいて楽しい.しかも60ページ余りの充実した「付録」がインターネットに公開されている(本書から離れた所にあるのだから「別録」あるいは「ウェブ録」とでも呼んだ方が適当ではないかと思われる).

私はかつて名古屋大学工学部応用物理学科で固体物理を学び,当時理学部数学科の友人から砂田先生のお名前をお聞きしていた.結晶は,すべての物質は原子からできているということを示す素敵な標本である.いまでも私は結晶が好きで,パイライト(硫化鉄の天然結晶)や方解石(炭酸カルシウム結晶)などの鉱物を眺めたり,原子物理の教材として利用したりしている.さて,砂田流に分析するなら,パイライトの美の秘密は何だろう?

 

評者:谷村省吾
日本応用数理学会誌 第17巻,第4号,pp. 95-96 (2007年12月) に掲載.

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