多自由度システム情報論講座

多自由度コロキウムとは

多自由度コロキウムは、講座の枠を超えた学術交流を目的とする講演・討論会です。月に一回程度のペースで講師を招待し、聴講・議論を行います。興味のある方の参加を歓迎します。

コロキウムは、(2018年度は)原則として、火曜午後15時から、情報学研究科棟 の8階セミナー室(802号室)で行います。

第1回

エンドユーザー向けコンピューティング環境のデザインと実装

要旨:パーソナルコンピューティングの父として知られるAlan kayの元で 20年近くエンドユーザー向けコンピューティング環境の研究・開発に携わってきた経験と、 将来に向けてVirtual Reality, Augumented Realityとの融合をめざす取り組みについて紹介する。

参考文献:

Bert Freudenberg, Yoshiki Ohshima, “Etoys for One Laptop Per Child”, 2009. http://www.vpri.org/pdf/tr2009001_etoys4olpc.pdf

Yoshiki Ohshima, Aran Lunzer, Bert Freudenberg, and Ted Kaehler, “ KScript and KSWorld: A Time-Aware and Mostly Declarative Language and Interactive GUI Framework”, 2013. http://www.vpri.org/pdf/tr2013002_KSonward.pdf

Yoshiki Ohshima, Dan Amelang and Bert Freudenberg, “Shadama: A Particle Simulation Programming Environment for Everyone”, 2017.
http://tinlizzie.org/~ohshima/shadama2/live2017/

David Smith, “Platform for the Future of AR & VR”, 2017.
https://www.youtube.com/watch?v=uDFxvKrMSJ0


第2回

量子マシンの仕事率の普遍限界

要旨:従来熱力学では、一般には動作時間を考慮しないか、無限時間の仕事量に対する普遍法則を確立してきた。一方、有限時間を考慮し、熱機関の単位時間あたりの仕事量である仕事率に対する普遍法則(どこまで普遍的な法則があるか分からないが)を確立することは、現実的により重要であるが、よりチャレンジングな問題である。近年、マルコフ性の仮定のもと、カルノー効率と有限仕事率とが両立しえないというトレードオフ関係を示す、仕事率に対する上限が導かれた [1][2]ことで、仕事率の普遍的理解への大きな進展があった。しかし、仕事率についての普遍法則は、未だ完全には確立されていない。特に、どのレベルで、何が仕事率の限界を決めるのか、系統的・普遍的な理解が望まれる。 そこで、その理解への一歩として、出来る限り少ない仮定のもと、一般的な量子系 からの仕事の取り出しを考え、基本的な量子論レベルで定まる仕事率の普遍限界を調べる。量子系 S と、これと相互作用するコントローラー系 A を量子マシンとして考える。特に、系 A には相互作用のオン・オフのスイッチまで陽に含め、全系のハミルトニアンは時間変化しないが、操作の開始時刻までは2つの系は分離していることを仮定する。つまりスイッチまで含めて自己完結した量子マシンを一般に考える。普遍限界の導出のための本質的仮定は、これだけである。このような一般的な量子マシンにおいて成立する、仕事率の上界を与える普遍的な不等式を示す[3]。この不等式によると、仕事率の限界は、コントローラーのエネルギーゆらぎによって特徴づけられ、エネルギーゆらぎが十分大きくなければ、仕事率は大きくできない。つまり、コントローラー のエネルギーゆらぎが、仕事率を得るためのリソースであることが明らかになる。この仕事率限界は、時間とエネルギーの不確定性原理[4]にもとづく、量子力学的な時間発展の速度限界から来ており、量子論の基礎レベルで定まる仕事率の限界である。 さらに、コ ントローラー全体が、取り出した仕事を蓄える場合を考えると、仕事によるエネルギー増分を検出する際のノイズと仕事率とのトレードオフ関係として捉えることができ、検出可能な仕事量を得るためにかかる時間スケールが導かれる。また、理想的な時計仕掛けの量子マシンを具体モデルとして考えると、その仕事率として、我々のバウンドに定数因子$\pi^{-1}$をかけたものが達成できるという意味で、我々の不等式が緩過ぎないことも立証される。

[1]N. Shiraishi, K. Saito, and H. Tasaki, Phys. Rev. Lett. 117, 190601 (2016).
[2]N. Shiraishi and H. Tajima, Phys. Rev. E 96, 022138 (2017).
[3]K. Ito and T. Miyadera, arXiv:1711.02322 (2017).
[4]I. Marvian, R. W. Spekkens, and P. Zanardi, Phys. Rev. A 93, 052331 (2016).


第3回

古典系と量子系における確率的独立と相関

要旨:量子系の世界では古典系の「常識」が通用せずに「特異」なことが起きるという認識を通常我々は持っている。事実多くの物理現象はついてこれは当てはまる。ここでは、しかし、古典系で起きる「特異」な性質が、量子系でどのようになるかという逆向きの視点をとり、古典系と量子系の境界についての考察を試みたので、その一例を紹介したい。
 古典確率の「常識」の一つとして、「二つの確率変数が、確率的に独立であれば、無相関である。だが、逆に無相関であるからといって、独立であるとはいえない」と知られている[1]。これに関して以下を示した[2]。
 古典確率において、二つの確率変数が二値を取る場合については、逆も成り立つ。つまり、独立性と無相関は等価(equivalent)となる。しかし、対応する2粒子ー2状態の量子系の純粋状態においては、この逆は成り立たない。
 この結果は、この場合に限れば量子系において「常識」が成立しているということを述べている。数学的には上記の証明は非常に単純であるが、物理的な意義の有無について考察したい。特に単純さ故に実験にかかるような側面があるのかどうかなど議論や知見をいただければと考えている。

[1] W. Feller, An Introduction to Probability Theory and Its Applications, vol.1, (John Wiley & Sons, New York, NY, 1957).
[2] T. Ohira, On Statistical Independence and No-Correlation for a Pair of Random Variables Taking Two Values: Classical and Quantum, Progress of Theoretical and Experimental Physics, Vol. 2018, 083A02, 2018. https://doi.org/10.1093/ptep/pty086


第4回

多様体学習から捉えるヒト脳振動現象の普遍性と個別性

要旨:我々ヒトは、外見から判断できる顔や指紋・瞳の虹彩・歩容などの身体的な特徴、あるいは、内面にある性格傾向や嗜好性などの精神構造に各人各人の個性が現れている。 それでは、身体的な外見と精神的な内面の間にある脳神経学的な事象の中に個人の特性はどれだけ反映されているのだろうか? 過去の研究において、例えばVogelらは遺伝学的なアプローチを通じて二卵性の双子に比べて一卵性の双子の方が脳波の波形が似通っていること示している[1]。 また、バイオメトリック工学の分野では、画像やキーワードなどの刺激群に対して反応する誘発脳波パターン群から個人を同定する研究が行われている[2]。 しかし、個人を同定するだけでなく、背後にある種としてのヒトが持つ脳ダイナミクスの普遍性や類型性を踏まえた上で各ヒトの脳神経活動間の相互関係(個人間多様性)を位置付ける研究は少ない。 このような背景の下、北城圭一氏(生理学研究所)と脳波計測実験とその解析に関する共同研究を実施している。 その中で、情報理論的な観点に基づく多次元時系列間の距離尺度の設定と多様体学習の適用による脳波個人間多様性を低次元空間に可視化する方法を提案している[3]。 本発表では、我々が計測した100名規模の健常被験者の安静時脳波活動に提案手法を適用した結果、およ公開データ[4]を用いて統合失調症患者と健常者の脳波活動を比較した結果について報告する。

[1] F. Vogel, Genetics and Electroencephalogram, Springer (2000).
[2] B.C. Armstrong et al., “Brainprint: Assessing the Uniqueness, Collectability, and Permanence of a Novel method for ERP Biometrics”, Neurocomputing 166 59-67 (2015).
[3] H. Suetani, Y. Mizuno and K. Kitajo, “A Manifold Learning Approach to Chart Human Brain Dynamics Using Resting EEG Signals”, in Proceedings of ICCS 2018: Unifying Themes in Complex Systems IX (Springer), pp. 359-367 (2018).
[4] https://repod.pon.edu.pl/dataset/eeg-in-schizophrenia


第5回

物理的にデザイン可能なタンパク質構造の条件

要旨:タンパク質はアミノ酸が一次元的に重合した高分子であり、生理条件下ではアミノ酸配列で規定されるたった一つの自由エネルギー最小構造しか(基本的には)とらないことが知られている[1]。このことは、原理的にはアミノ酸配列だけからタンパク質の立体構造を予測できること(立体構造予測問題)、またその逆に、人間が指定した任意の構造(目標構造)に折りたたむようなアミノ酸配列を算出すること(デザイン問題)が可能であることを示している。 
 近年、タンパク質のデザインが目覚しい進歩を遂げており、様々な成功例が報告されている[2]。しかし、これらの成功例で用いられた目標構造は、既に立体構造データベースに登録されている構造であり、デザイン可能である保証がある構造ばかりが用いられていた。自由自在にタンパク質をデザインできるようになるためには、立体構造データベースに存在しない新規な立体構造をもつタンパク質もデザインできるようになる必要があるが、現在のところ、与えられた任意の目標構造がデザイン可能か否かを判定する基準がないため、新規構造をもつタンパク質デザインの成功例は(一つの例外[3]を除いて)報告されておらず、難しい問題として残されている。 
 本セミナーでは、我々が現在行なっている物理的にデザイン可能なタンパク質構造の条件を明らかにするための試みを紹介する。具体的には、データベース解析、シミュレーションなどを用いてタンパク質立体構造における対称性の破れを見出し、それが設計可能性と密接に関係していることを示す。また、得られた理解をもとに、物理的にデザイン可能な新規構造を目標構造として選択し、実際にそのような構造をもつタンパク質をデザインし、実験的に検証した例も紹介する。

[1] C.B. Anfinsen et al. PNAS 47, 1309 (1961)
[2] P. Huang et al. Nature 537 320 (2016)
[3] B. Kuhlman et al. Science 302 1364 (2003)


第6回

遺伝子制御ネットワークにおける機能と頑健性の創発

要旨:生命現象は長い進化の過程を経て作り出され、物質の振る舞いとしては極めて珍しいものである。その特徴として、機能と様々な頑健性が挙げられる。頑健性としては遺伝子の変異に対するものと揺らぎに対すものが考えられる。直感的に考えると、機能性だけを追求して最適化を行えば変異や揺らぎに対しては脆弱なものが得られそうである。すなわち、生命現象が頑健性を獲得しているのは進化が単なる最適化ではないことを意味すると考えるのが自然だろう。では頑健性の獲得は機能獲得よりも更に希なことなのか、というのがここでの質問である。それに答えるために、我々は遺伝子制御ネットワーク(GRN)のモデルを考える。
 細胞が外界の状況に応じて状態を変えるために、たくさんの遺伝子が転写因子によって互いに制御し合う複雑なネットワークが用いられる。本研究ではひとつの入力遺伝子とひとつの出力遺伝子を持つ簡単なGRNを調べる。有向ランダム・ネットワークをGRNに見立て、神経回路網と似た離散ダイナミクスを仮定する。これに対し、入力のon-offをなるべく鋭敏に見分けるタスクを課す。すなわち、入力の最小値と最大値に対する出力の差を適応度とし、それがなるべく大きくなることを要請する。
 この系にマルチカノニカル・モンテカルロ法(McMC)を適用する。McMCは平衡統計力学の分野で発展した計算手法であり、元々エネルギーについての均等分布を得る方法だが、エネルギーの代わりに適応度を用いれば、様々な適応度を持つGRNを原理的にはランダムにサンプルすることができる。これによって、適応度の高いGRNの普遍的な性質を調べるのが目的である。
 計算結果はいささか意外なものである。適応度が低いうちはGRNはひとつの固定点を持ち、それが入力に応じて移動することでon-offに応答する。ところが適応度が高いGRNは固定点を2個持ち、on-offに対して固定点切り替えで応答するようになる。固定点を2個持つGRNの割合は適応度に対してシグモイド的に増加する。これは、もし進化によって適応度を上げようとすれば、進化過程のどこかで必然的に新たな固定点が出現する「大進化」が起きることを意味する。この固定点切り替えの仕組みによって、入力分子や転写因子の個数揺らぎに対する頑健性がほぼ必然的にに獲得される。つまり、揺らぎに対する頑健性は機能の副産物として生じるのである。
 では変異に対する頑健性はどうか。ネットワークのエッジを一本切る変異に対して適応度がどのように変化するかを調べたところ、大多数のエッジは変異に対して中立で、ごく少数のエッジが致死的だった。興味深いことに致死的エッジを持たず「完全に頑健」なGRNも少数存在する。どうやら、このGRNはそもそも変異に対する頑健性が高いらしい。
 結論として、GRNの頑健性は機能が高まれば生じる性質であって、進化の過程とほぼ無関係なのではないかという仮説が得られる。